2019年09月17日(火)11時07分33秒
長谷川平蔵(鬼平)はなぜ悪に対して「目をつぶる」のか
『鬼平犯科帳』なんかを見ているとね、仕方なく罪を犯してしまった人に「目をつぶってやる」と言って罪を見逃してあげることってありますよね。
……あれ? 鬼平犯科帳、みんな知ってるよね? 歌舞伎の吉右衛門さんがドラマでやっていらしたよね。DVDなんかもたくさん出ています。池波正太郎の原作小説もいいですよ。僕はあんまり小説を読まないんですけど、鬼平犯科帳は、16冊くらいは読んだかな。全部でたぶん、30冊ぐらいあると思います。同じく池波正太郎さん原作の『剣客商売』も結構読みました。
ああいう作品は、心理学を勉強している人は、読んだり、見ておいたほうがいいです。
それでね、鬼平犯科帳だけじゃないんだけど、時代劇の人情物の世界には「目をつぶる」というエピソードがよく出てくるんです。悪事を暴いて、おさばきをするんだけど、そこで必ず、鬼平は「目をつぶる」ということをやるわけです。つまりは、「やったことは悪いことだ。しかし、それをやるにあたったお前たちの心情もよくわかる」ということで、罪を見逃す、ということをやる。その機微が、鬼平犯科帳を「泣ける」話にしているわけですね。
あの時代の刑罰って、大変なものですからね。「市中引き回しの上、獄門晒し首」とかね。市中引き回しっていうのは、今で言えば、下北の無印良品の前で、丸裸で1時間逆立ちをさせられるみたいなものですよ。マジックでお腹にだるまさんの絵とか描かれて「さあ、逆立ちしもうせ」とか言われて、鞭で打たれて、その周りを人だかりが囲んでる感じ。
「うわぁ、あれ、名越先生やで」「こないだまで、テレビとか出たはったのに……」みたいなね。鬼平のやっていることは、そんな地獄のような目に遭うはずだった人が、時として無罪放免になってしまうという話なんですよ。すごいでしょ?
人間としての共感と優しさが「目をつぶらせる」
ちょっと脱線するかもしれないけど、人間って、「市中引き回しの上、獄門晒し首」の状態に置かれて初めて「目を開かれる」ということもあるんじゃないかと思うんです。
めちゃくちゃひどい目に遭って、人権とか全部ひっぺがされて、お前なんか生きている価値はないぞ、ということになって初めて、自分がいろんな法律とか、人権思想に守られてきたことがわかる。
僕はテレビに出て、お金をもらうことがあります。でもそれは別に僕に「力」があるからテレビに出ているわけでもないし、稼いでいるわけでもないんですよ。いろんな状況に支えられて初めて、そういう仕事をさせてもらっているわけです。社会とか、人間関係とかね。
「市中引き回しの上、獄門晒し首」っていうのは、そういうものを全部ひっぺがす刑罰なんです。つまりね、僕だって一つ間違えたら、下北の駅前で裸で逆立ちをさせられるかもしれない。人ってそれくらい危うい土台に立って日々を過ごしている存在なんです。
でも、僕らは普段、そんなことを全く意識しないよね。だって、たぶん僕がそうやって刑罰を受けていたとしても、それを目にした人はたぶん、こう思うだけです。
「ああ、名越先生、あんなひどい目に遭うぐらい、悪いことしはったんやろうなあ」って。
ね? 別に僕は悪いことしていないかもしれない。冤罪かもしれない。でもね、僕がひどい目に遭っているのを見た人の多くは、自分の常識の枠組みの中で合理化して、実際に何が起きたかということについては目を向けない。つまり「目をつぶる」わけなんです。
これ、僕が逆の立場でも反射的にそうしてしまうかも知れない。だって、そういう刑罰を受けている人の人生を、僕らは何にも知らないからね。
「刑罰を受けている」ということから「ああ、悪いことをしたんだろうなあ」と想像しているだけ。
これは裏を返すとね、僕らが普段、いかに自分を支えている幻想とか約束事を、あまりにも当たり前として生きているか、ということなんです。
目の前に、裸にひん剥かれてしまっている人がいたときに、自分もいつひん剥かれるのかわかったもんじゃないと思っている人と、そうは思わない人がいる。もしも「自分もいつそうなるかわからない」と思っていれば、毎日毎日を大切に、目の前の人にちょっとでも共感して生きようじゃないかと自然に思えると思うんだけど、普通はなかなか、そうはなりませんね。
妄想と直観知の違い
いきなり、変な話をしてごめんなさい。話をしているとふと、訳のわからないことが思い浮かぶ時ってあるんですよ。ただね、僕はこういうのをなるべく、口に出すようにしているんです。そういうところに、ものすごく大事なエッセンスが含まれていたりするからです。
もちろん、僕の妄想かもしれないけれど、ただ、僕のエゴとか妄想に過ぎないものか、それともある種の直観、ある種のアカシックレコードから生まれてきたものかというのは、結構わかるものなんです。
えーと、これは秘伝だから、あんまり人には言ってはいけませんよ。
頭に浮かんだイメージが暗かったり、硬直したりしている時というのは、単に心の中に渦巻いている不穏な感情が像を結んでいるだけなんです。
それに対して、本当にどこかから何か素晴らしいアイデアが「降りてきた」時っていうのは、「えっ?」ていうぐらい爽やかで、それでいて「自然」なんですよね。「いいことを思いついた!」みたいな過剰さはなくて、「ああ、そういうこともあるかな」というぐらいの思いつき。そういうのが降りてきたときは、なるべく言葉にしてみる。僕はそういうふうにしています。
そういう直観知を使っているのって、カウンセラーの場合だと、全体の15パーセントぐらいでしょうか。心の中のイメージにすーっと風が吹いているような感覚。イメージの中に、「おもしろいやろ!?」とか「ええこと言うてるやろ?」みたいな欲がないんです。
相手の居場所を失くさせない
さて、話を戻しましょう。「目をつぶる」というのはね、普通は「相手のメンツを保ってあげよう」って言うことじゃないですか。これを「優しさ」と捉える人も多いと思うんだけど、実はね、目をつぶってあげるのって「自分が相手の立場だったら」と感じているからなんです。
え? なんで相手が悪いのに目をつぶらなきゃいけないの? そんなの不合理だ、そんな不正義は嫌だ、っていう人がいると思うんです。でもね、それをやっていると、どうしたって恐怖心が、自分自身を追い詰めることになるんです。
いくら腹がたっても、相手を追い詰めて、相手の居場所を奪うようなことをすると、無意識のうちに「もしも自分が同じ目に遭ったら」という恐怖心に支配されてしまう。
よくあるでしょう。市長選挙とかで、お互いに怪文書を回して、あの人は昔こんな悪いことをしていました、みたいな情報を回す。本当は、選挙で勝てればそれだけでいいはずなのに、下手をしたら、相手が居場所を完全に失ってしまうような、えげつない情報戦をしかける人っているじゃないですか。
でもね、権力っていうのは本来、そういうことしちゃいけないの。本当に暴力を行使してしまったら権力とは言えないんです。権力っていうのは、強力な暴力を行使する「かもしれない」というところに本質がある。「もしかしたら暴力的に支配されるかもしれないから、怖くて手を出せない」と思わせること。これが権力ですよ。
で、権力を持っている人は、その権力を引き剥がされることを恐れます。
自分が市長選挙で勝つために、対立候補のヘイトスピーチをやった人は、「相手を責め立てた」という記憶が、裏返った恐怖心として心の中に残っている。「もしかしたら、自分も同じことをされるかもしれない」という恐怖心を持つようになる。すると、さらに権力に依存するようになる。
これは『無意識には主語がない』という、無意識の前提条件に照らし合わせても同じ結論になりそうですね。つまり無意識のレベルでは、攻撃している自分もされている他人も、どちらもあまり区別がついていない。だから攻撃しているつもりが、自分の不安も煽ってしまっている。
行政という権力を握っていないと、人から侮辱され、侮蔑され、子どもがいじめられてしまうかもしれない……というような恐怖心に怯えるようになる。
こういう病的な循環っていうのは、実はこの日本で、あちこちで起きていますね。ツイッターでも連日連夜、政治批判をしている人ってたくさんいるでしょう? そういう人は、恐怖心に突き動かされているかも知れないのです。
少なくとも、ツイッターでそれを書いても、政治はほとんど変わらない。そうやって攻撃している人自身に、恐怖心が循環してくるだけなんです。
ここに、日本に民主主義が根付かない、本当の理由があるのかも知れません。批評することによって、心の中に恐怖心が根付く。権力者もその恐怖心を煽る。結局、何も生まれませんよね。それがここ何年かが一つの過渡期である証明なのかも知れませんけれど。
恐怖心以外の動機で動けるようになる
さて、ここで心理学的な原則に立ち戻ると、恐怖心に煽られた行動というのは、全部嘘、本来のその人の力じゃない。ポジティブで、明るく「よーし、やったるで!」というのが、本心なんです。でもね、今の日本には、そういう本心で動いている人が少なくなっている。
だからこそ「目をつぶる」というのは、大事なことなんです。人の揚げ足を取ったり、やたらと批判する、という世相の中で、ひとまず目をつぶる、ということが大事。実はこれは、民主主義を成り立たせる大前提だと思うんです。
というのも、民主主義というのは、ゆっくりと物事を決めていくシステムですからね。例えば、ひどい交通事故が起きて……(続きはメルマガをご購読してご覧ください)
名越康文メールマガジン 生きるための対話(dialogue)
2019年9月16日 Vol.204
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今週の目次
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00【ご案内】名越式性格分類ゼミ(通信講座版)第18次受付中!/今週のシークレットトーク
01【心理学】なぜ他人の失敗に「目をつぶる」ことは美徳なのか? 恐怖心と赦しの心理学
02【カウンセリングルーム】(今週はお休みです)
03【Lyrics】黄金の羽根
04【名越式性格分類ゼミ】第3回名越式性格分類ゼミ認定試験の提出課題解説
05【pieces of psychology】<クリエイティブを賦活する営み/細部にすべてが宿る/社会は幸福感を向上させない/愛の昇華と失敗を楽しむこと>
06精神科医の備忘録 Key of Life
・「完全オフの日」を大切に
07講座情報・メディア出演予定
【引用・転載規定】
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