辺境ラジオのオンエア決定!
12月19日に収録した内田樹先生、西靖さんとの人気シリーズ「辺境ラジオ」が、12月29日(日)22:00~23:30に、MBSにてオンエア決定!
ポッドキャスト配信は2014年1月6日予定です。
詳細はこちら。
12月19日に収録した内田樹先生、西靖さんとの人気シリーズ「辺境ラジオ」が、12月29日(日)22:00~23:30に、MBSにてオンエア決定!
ポッドキャスト配信は2014年1月6日予定です。
詳細はこちら。
名越康文メールマガジン 生きるための対話(dialogue)2013年12月2日 Vol.065を配信しました! 一部記事を公開します。
目次は下記のとおりです。
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┏┏┏┏ 今週の目次
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01 「やってみてもいいかな」は強い
02 カウンセリングルーム
【Q1】先験性とは何でしょう?
【Q2】職を手にする、という感覚について
【Q3】意味の分からない笑いに困っています
【Q4】なぜ心の病はなくならないのか
03 精神科医の備忘録 Key of Life
・ミュージシャンはケンカが強い
04 私家版「門外漢の仏教論」(7)
・わからないまま、ただ「やる」ということ
05 読むこころカフェ(19)
・「妬み」を成熟の糧にする
06 講座情報・メディア出演予定
【引用・転載規定】
今回は<05 読むこころカフェ(19)「妬み」を成熟の糧にする>の一部を無料公開します。
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05 │読むこころカフェ(19)
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【「妬み」を成熟の糧にする】
この連載では、ラジオデイズ主催の公開録音シリーズ「こころカフェ」をもとに、「名越康文心理学」の最先端をお届けします。
今回の原稿は「こころカフェseason3 第3回「妬む」」を元に、大幅に加筆修正を加えたものです。
※ラジオデイズ「こころカフェ」の音源は、こちらからご購入いただけます。
http://www.radiodays.jp/series/show/43
※前回の記事「「全力を出し切る」ことが弱さを断ちきる」はこちら
http://yakan-hiko.com/BN1927
■「妬み」という感情はとらえにくい
「妬み」という感情は、案外捉えにくい感情です。一見、ぜんぜん妬んでいるように見えない言動が、一皮めくってみると全部妬みだったということはしばしばある。あるいは「自分は妬みやすい人間なのか、そうではないのか」と自問自答してもなかなか判然としない。自分の中の妬みの感情をうまく捉えることができる人は、ちょっと「上級者」という印象があります。
自分の中の妬みの感情をしっかりと捉えて、そこから自由になれている人は「大人」です。例えば内田樹先生 @levinassien って、ほとんど人を妬む、ということがありません。一緒にお仕事をしていて、本当に見事だなあと感心します。
内田先生は自分がしゃべっているときでも、人がしゃべっているときでも、同じように「ははー! なるほどね!」とうなづいておられる(笑)。自分が話すのも好きだけど、人の話を聴くのも同じくらい好きなんですよね、内田先生は。だから人がおもしろい話をしているときに、自分がおもしろい話をして受けているのと同じくらい楽しそうにしている。これってけっこう稀ですよね。そういう人って、なかなかいない。それが本当の大人ですよね。
僕も若い頃に比べればだいぶ妬みの感情に振り回されなくなったと思っているんですが、内田先生を見ると、まだまだだな、小さいことでけっこう妬んでいるよな、と思わざるを得ません。
■所属感を失くすと、妬みが出る
「妬み」の感情はなかなか捉えどころがないものです。じゃあどういうときに僕らは妬むんでしょうか。僕の考えでは、それは「所属感をなくしたとき」なんです。
所属感というのは「いま自分はここにいていいんだ」という感覚のこと。
例えばこんな場面を思い浮かべてください。自分がAさんと親しく話しているとき、そこに(あなたの知らない)Aさんの知人が現れ、Aさんと親しく話し始める。それだけで、心穏やかでいられなくなる。別にあなた自身が無視されたわけでも、罵倒されたわけでもないのに、自分の居場所が一瞬にして失われたように感じられる。
こういう状況に遭遇したことのある人は多いと思いますが、そこには何とも言えない居心地の悪さが漂います。これが「所属感を失う」という感覚です。
僕は若い頃、パーティなど、不特定多数の人が集まる会合がすごく苦手でした。それはやはり、安心してコミュニケーションを取れず、所属感を失うのではないかという不安が強い場だからだと思います。ちょっと大人数の飲み会とか、カラオケなんかでも、そういう感覚に襲われる人も少なくないでしょう。
そういうとき僕らは、自分の振る舞いが、知らず知らずのうちに場の空気を乱していないかまで不安になるわけです。こういう「所属感の喪失」が、僕らを妬みやすくさせるような気がします。
僕の場合、最近、こういうことがありました。
大阪のテレビ番組の企画で、国宝級の建物や文化財の精巧なミニチュアを紙で作るキットにチャレンジしよう、というのがあったんです。これが、作り始めたら超絶難しいんです(笑)。30分たっても規定の1/3も終わらない。
難易度としてはかなり難しい「3」を選んだこともおそらく裏目に出たわけですが、カメラもまわっているから途中でやめられない。このままだと収録現場のみんなに迷惑をかけてしまう、とすごく焦りました。自分がその場にいてはいけないというような、強烈な焦燥感に見舞われながらなんとか収録を追えましたが、久しぶりに「所属感を失った」感覚を覚えました。
興味深かったのは帰宅したあとの心の動きでした。どういうわけか、僕はそのときのことを思い出して、すごく腹が立ってしまったんです。「なんでオレにあんな難しいミニチュアキットをやらせるんだ!」と、企画を考えたディレクターを恨むような気持ちがわいてきた。もちろん、その後で「いかんいかん! あの人は悪くない!」と切り替えましたよ。そのディレクターの顔を思い浮かべて「ごめんなさい、本当は大好きです」と謝っておきました(笑)。
でも、不思議でしょう? 別にそんなに怒るような話じゃない。収録だって、最終的には何とかなったわけですから。でも、所属感って、それくらいちょっとしたことで、すぐに失われてしまう。そして、所属感を失うと僕らの感情はものすごくバランスを失ってしまうんです。僕らが誰かをフッと妬んでしまうときも、だいたいこういう所属感の喪失があるんじゃないか、というのが僕の仮説です。
■妬みは、瞬間的な「いじわる」として現れる
いままで親しく話していた人が別の人と話をはじめた。たったそれだけのことで、僕らは妬みの感情を抱きます。ただ、その時点では、「妬み」という言葉でイメージするような明確で、どす黒い感情にはなっていません。それは言葉にすれば、「心に一瞬、さびしい風が吹く」ような感覚です。自分と話していたときよりも、Aさんが盛り上がっていると感じた瞬間、フッと心に風が吹くんです。
そして僕らは心にそうしたさびしい風が吹くと、反射的に、ちょっとした「いじわる」をしてしまいます。相手の会話に割って入ったり、少し大きな声で「ちょっとトイレいってこようかな」と口にして席を立ったり、座の空気を乱すような行動を取ってしまう。
自分としてはそれが妬みの感情から来た行動とは思いもしない。しかしそれは結局のところ、友人の視線をもう一度、自分のほうに引っ張らずにはいられない、という妬みの気持ちから出てきた行動なんです。
これに気づける人は成熟した人です。案外、自分がそういうことをやっている、と気づくことは難しい。こういうちょっとした「いじわる」って、無意識にやってしまうということもあるし、上手にやるとちっとも嫌な雰囲気を引き起こさないこともある。コミュニケーション能力の高い人であれば、それこそそれまで見ず知らずだったAさんの知人と、それをきっかけに仲良くなってしまうことだってある。
「実害がないなら、別に妬みの気持ちを持つぐらいのこと、いいじゃないか」と思われるかもしれませんね。でも、そうでもないんです。無意識のうちにそういうちょっとした「いじわる」をやっていると、知らず知らずのうちに心が疲れるし、微妙に周囲の評判も落としてしまうことになる。
だから大切なことは、そういう感情が自分の中に生まれたり、ちょっとしたいじわるをやってしまったりしてしまう自分自身を知る、ということです。知ってさえいれば、僕らはそれをきっかけに成長することができますが、知らないままだと、いつまでたっても、僕らは自分の意志で行動しているようでいて、妬みの感情に操られたままなんです。
それは非常にもったいないことです。妬みの感情から距離を取ることは、その人に人格的な深みを与えてくれる。あるときは妬みと戦い、あるときは妬みと遊ぶ。そういうことができると、その人はかなり成熟していくんです。
■「妬み」を直視してはじめて、人は成熟できる
自分の中の「妬み」の感情をきちんと見つめることが、なぜ人間的成長につながるのか。
例えば政治家って、自分や他人の「妬み」をどうコントロールするかが勝負だと思うんですよ。優秀な政治家は、自分から「立候補する」とは絶対言わないし、自分からは推薦人を集めたりはしない。それは妬み、嫉妬の強烈なパワーをよく理解しているからです。
<続きはメルマガ本編をご登録の上、ご覧ください>
内田樹先生、MBSアナウンサー西靖さんとともに、辺境ラジオの公開収録(3か月ぶり)を12月19日に行うことが決まりました。参加希望はハガキ(12月2日必着)で受付中とのことです!
詳細はこちらのリンク先(MBSサイト)をご覧ください!
http://www.mbs1179.com/henkyo/
著:内田樹、名越康文、西靖
140B・2012年9月刊
四六判・384ページ
定価:1500円+税
ISBN-13: 978-4903993133
MBSラジオにて深夜に不定期放送中の隠れた名番組を書籍化! 未放送部分&「あとがきトーク」も収録。アメリカではなく日本、東京ではなく大阪、そしてテレビではなくラジオ・・・。
「辺境」だからこそ見えるニュースの意味を、現代人の指針・内田樹、そして愛と癒しの精神科医・名越康文に、MBSの人気アナウンサー・西靖が問いかける。
朝日カルチャーセンター立川教室での『驚く力』出版記念講座を開催します。
日時 2013年12月11日(水)
19:00-20:30
受講料
会員 2,940円
一般 2,940円
会場
朝日カルチャーセンター立川教室
JR立川駅に直結 駅ビル・ルミネ9階
*改札を出て、北口方向にお進みください。
〒190-0012 東京都立川市曙町2-1-1 ルミネ立川9階
内容
メディアなどで活躍する名越康文さんの出版記念講演会です。
シンプルなタイトルにひそんだ、力強いメッセージが本著の魅力のひとつ。「驚く力」をはぐくむことで拓かれる私たちの世界は、今日よりも自由に、そして豊かに拡がっていく、その勇気をもらえます。
この本にこめられた思いを縦横無尽にお話いただきます。
申込み・問い合わせ
朝日カルチャーセンター立川教室
tel.042-527-6511
この講座の詳細・申込みはこちら↓
http://www.asahiculture.com/LES/detail.asp?CNO=224176&userflg=0
新刊『驚く力――さえない毎日から抜け出す64のヒント』(名越康文著、夜間飛行、2013年9月13日刊行)の情報は下記のとおりです。
書籍の詳細情報・ウェブショップでの購入は上記のリンクまで。
また、取り扱い書店一覧は下記まで。
(pdfファイルが開きます)
紀伊国屋、丸善、ジュンク堂、三省堂、文教堂、くまざわ書店はじめ、全国の書店で販売中です。なお、本書は当面amazonでは販売されませんので、上記リストにある書店、もしくは下記のwebショップをご利用ください。
・夜間飛行ショップサイト「スーク」(名越康文メールマガジン購読中の方は送料無料です)
2013年11月24日(日)、福岡県大濠公園能楽堂にて行われるイベント<空海劇場>に登壇します。お近くの方はぜひ。
プログラム
第一部
仕舞(能楽)
・能楽師・多久島法子)
トーク「なぜ今、空海なのか?」
・中尾賢一郎(空海劇場プロデューサー)
・深町健二郎(空海劇場2013ナビゲーター)
ライブペイント
・銅版画家「小松美羽」
トークセッション1
「アーティストとして生きることの喜びと葛藤。自分らしさとは。」
・深町健二郎(空海劇場2013ナビゲーター)
・小松美羽(銅版画家)
・多久島法子(能楽師)
トークセッション2
「これからの時代を生き抜く決断力」
・深町健二郎(空海劇場2013ナビゲーター)
・名越康文(精神科医)
エンディングトーク
・中尾賢一郎(空海劇場プロデューサー)
・深町健二郎(空海劇場2013ナビゲーター)
エンディングライブ
「Hueコンサート(ポペラ)」
・Hue(韓国人ポペラデュエット※)
※「ポペラ」とは「ポップス」と「オペラ」の造語
詳細はこちら
名越康文メールマガジン 生きるための対話(dialogue)2013年11月4日 Vol.063<私が病院を辞めたときの話――「自発性」に耳を澄ませて/「全力を出し切る」ことが弱さを断ちきる/ほか>を配信しました。
http://yakan-hiko.com/nakoshi.html
目次は以下の通りです。
01 私が病院を辞めたときの話――「自発性」に耳を澄ませて「自発性」に耳を澄ませて
02 カウンセリングルーム
【Q1】<主観と客観の間に張られた糸が奏でる音楽――オードリーライブから>の感想
03 精神科医の備忘録 Key of Life
・内側の空間と先験性について考える独りラーハの時間
04 こころカフェ(18)
・「全力を出し切る」ことが弱さを断ちきる
05 講座情報・メディア出演予定
【引用・転載規定】
巻頭コラムの一部を公開します。
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01 │私が病院を辞めたときの話――「自発性」に耳を澄ませて
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■「自分は病院を辞めるんだ」という確信
メルマガ宛に、こんなご質問をいただきました。
>>
こんにちは。
購読を始めて一年が経ちました。
34歳・女性・会社員・独身です。
生きていくうえでのたくさんのヒントをありがとうございます。
この頃、将来の事を考えます。
この先、結婚をすれば、どんな家庭を築いているだろう?
この先も独身であれば、どこに住んでどんな生活をしているだろう?
という事です。
名越先生がいつもおっしゃっているように、「今」に集中して生きていれば、将来につながると信じていますが、将来の夢や展望、となるとまったく何も見えない現状です。
名越先生は、今こうしてご活躍されているご自身を
30代の頃に想像されていましたか?
ご回答いただければ、うれしいです。
よろしくお願い致します。
>>
いいご質問を頂いたと思います。心を落ち着ければ、自然と自発性が出てきて、自分の進むべき方向がわかる。確かに僕はそういうふうに書いていますし、講演などでも、そういう言い方をしてきたかもしれません。
ただ、これだけでは混乱してしまう人がいるのも事実でしょう。いくら「今」に集中しても、客観的にみるとまったく展望が開けない、見通しが立たない状態に置かれている人もいます(というよりも、ほとんどの場合はそうかもしれません)。
ただ心を落ち着けるだけで、具体的な先の見通しが立たないのでは仕方がないじゃないか、と。
こういう疑問に対しては、ひとつの答えとしては「そんなこといわずに、まずは心を静めることに取り組んでみてください」というものがあります。そうすればおのずとわかってきますよ……と。ただ、それだけではあまりに不親切だということもよくわかります。
今回は幸い、「名越自身が30代の頃、将来の自分をどう想像していたか?」という質問をいただいたために、僕なりにこの問題について考えることができました。キーワードは「見通し」と「自発性」です。
■「見通し」なんてそう簡単には立たない
メルマガ読者の皆さんはご存知のことと思いますが、僕は13年間精神科医として勤めていた病院を辞めて、今のクリニックを開きました。「病院勤めを辞めてクリニックを開きました」というと、世間の人は「独立なんて素敵ですね」「それだけ自信があったんですね」といわれることが多いんです。
とんでもありません。僕が病院を辞めることを決めた時点では今のようにテレビのお仕事をやっていたわけではないし、クリニック経営のことも、何も考えていなかった。辞めた後どうなるかという見通しはまったく立っていなかったんです。
ただ、僕の中には「自分は病院を辞める」という確信だけがありました。妙に観念的に思いつめたり、ストレスにさいなまれて「辞めたい!」という気持ちが募っていたり……ということはまったくなく、ただ淡々と、「自分はこの病院を辞めるんだな」という確信だけがあった。
この根拠のない<確信>を、僕は「自発性」と呼んでいます。
……わかりにくいですよね(笑)。もう少し、僕の経験をお話しさせていただきます。
ちょうど、病院に勤めはじめて十三年目の春先だったと思います。ふと、「あれ? 俺、病院辞めるんじゃないかな?」という思いがよぎりました。そのときは、とにかくショックでした。なぜショックかといえば、僕自身、「辞めたいなあ」なんて考えてもいなかったからです。辞めたいわけでも、辞めて何をどうしたいという展望もないのに、「辞める」ということだけが、かなりくっきりと突きつけられた。
それは、例えていうなら、これからも元気で生きて行こうと思っていたのに、健康診断で「あなたの余命は○年です」と告げられたような状況です。「病院を辞める自分」はありありとしたリアリティをもって思い描けるのに、「病院勤めを続ける自分」にはまったくリアリティがない。散歩をしてふと路地に目を向けたら自分の死体が横たわっているのを見つけた。その瞬間、「ああ、俺、死んじゃったんだ」と気づく。あたかもそんな不思議な体験をしてしまったかのような「ショック」を受けたんです。
その感覚は、夏頃になるともっと強くなりましたが、辞めた後の見通しは相変わらず何もありませんでした。食べていけるかどうかすらわからないにもかかわらず、「辞める」ことだけが決まっていく。
注意していただきたいのは、いま「決まっていく」と書いたのは、あくまで僕の内面での話で、客観的な状況はそれほど大きく変化していない、ということです。職場の環境が悪化したわけでもないし、対人関係で大きなストレスが生じたわけでもない。しかし、自分の内面では「辞める」ということだけは決まっていく。それは自分にはどうしようもない、コントロールしようもない自分の中に到来する感覚だったんです。
どこかで書いたかもしれませんが、その時期に僕は一度、桜井章一雀鬼会会長に相談に東京まで行っています。辞めるというのは自分の中でほとんど決まっていましたが、それでも僕は不安だった。だから「辞めてもやっていけますかね」と相談した。雀鬼はなかなかはっきりとは答えてくれなかったけれど、夜になって確かめるようにポツッと「……先生は丈夫だよ。やっていけるよ」といわれました。
それに背中を押されて、というわけではありませんが、僕は結局、病院を辞めることにしたんです。
■「自己決定」と「自発性に従う」ことは違う
病院を辞めることは、僕にとって清水の舞台から飛び降りるような、人生における一大決心でした。ただ、ここまで述べてきたような経緯からわかるとおり、僕には自分でそれを「決めた」「選んだ」という感覚はほとんどありません。いわゆる「自己決定」をした感覚はあまりない。
季節が巡ってきて、枯れた葉が枝から落ちるように、「辞める」という事実が自然と自分のところに舞い込んできた。それは僕にとってはショックなことではあったけれど、ほかに選びようがなかったことでもある。
こういう感覚こそが、僕の考える「自発性」です。
「自発性」というと、「自分で決める」とか「自分の中で<やるぞ!>という積極的な気持ちがわいてくる」ということをイメージされる人もおられるんですが、それは僕の考える「自発性」とは違う。それらは時には重なり合うこともあるかもしれないけれど、「自己決定」というのは基本的に、客観的な情報を判断し、自分の意志で未来を選び取るものであって、僕の考える「自発性」とは違うものなんです。
もちろん僕は誰かから「辞めろ」といわれたわけではありませんから、客観的には「自己決定」したように見えるでしょうし、その言い方でも丸っきり間違いだとはいえません。ただ、僕の感覚としては、すでに決まっていた感覚(=自発性)に従った、というほうがしっくりとくるんです。
■網の目の方向性を感知する
僕は、ある程度以上の長い時間軸における<人生の選択>では、こうした「自発性」を大切にしたほうがいいと考えています。なぜなら……
<続きはメルマガ本編をご登録の上、ご覧ください>
http://yakan-hiko.com/nakoshi.html
11月10日(日)13時から、産業能率大学自由が丘キャンパスでの学園祭「自由が丘産能祭」にて講演を行います。
『大学生のための気持ちのデトックス―心がふっと軽くなる瞬間の心理学』
場所:産業能率大学2201教室
http://www.sanno.ac.jp/univ/parents/gakuensai2013_rep.html
※入場無料
名越康文メールマガジン 生きるための対話(dialogue)2013年10月21日号(Vol.062)を配信しました。
目次は以下の通り。
01「できる人」の時間は伸び縮みする
02 カウンセリングルーム
【Q1】「今ここ」に集中するって、どういう感覚ですか?
03【私家版】門外漢の仏教論(6)
・心を鎮めれば人生が変わる
04 精神科医の備忘録 Key of Life
・「個」に戻り、「今」を生きる
05 塾通信(44)
・怒りの制御と体癖論
06 講座情報・メディア出演予定
【引用・転載規定】
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01 │ 「できる人」の時間は伸び縮みする
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■時間とは「妄想」である
「時間がない」「時間に追われる」「自分の時間が取れない」「時間を有効に使えない」といった、<時間>にまつわる質問を受けることがよくあります。
そういう悩みを抱えている方がまず気をつけたほうがいいのは、そもそも「時間」を主語や、目的語にしている時点で、それはかなり妄想的な発想に陥っている可能性が高い、ということです。
言いかえれば、昨日、今日、明日と時間を区別すること自体が、実は妄想的だということです。「時間が……」「時間に……」ということが頭に浮かんでいる状態では、僕らは目の前のことに集中できていません。そういう悩みが生じている瞬間、その人は「時間の妄想性」に足元をすくわれているんです。
ただ、そうはいっても、僕らはそう簡単に時間から自由になることはできません。少なくとも現代人にとって、時間という観念(妄想)は非常に強固で、そこから解放されることは容易ではない。「時間なんて気にしない!」と心に決めただけでは、どうにもならないんです。
今回は、時間の捉え方を変えるひとつの方法として「時間を空間的に捉える」ということを提案してみたいと思います。時間をイメージで捉えるとき、僕らはたいてい「線」で捉えます。それを三次元的に広げ、「チューブ」のようなイメージに変えてみる。
左側の過去から、右側の未来に向かって、太さを伸び縮みさせながら流れていくチューブをイメージしてみる。そうすると、「横軸」の時間の流れに対して、「縦軸」や「奥行」に向かって伸び縮みするチューブの太さが、時間の「濃さ」「密度」を表すことになります。その時間が自分にとって濃密であれば時間のチューブはどんどん「太く」なり、その時間を集中して過ごすことができなければ、時間のチューブはどんどん「細く」なっていく、というわけです。
そうやって時間というものをとらえ直してみると、時間は決して均一ではなく、いわばウインナーソーセージのように伸び縮みしている様子がはっきりとイメージできてきます。
もちろん、これもひとつの妄想的な捉え方に過ぎない、ということもできます。先に述べたように、過去、現在、未来というのも妄想に過ぎないわけですから。でも、こういう「伸び縮みする時間」のイメージを描ける人は、少なくともビジネスや実務のレベルにおいては「時間の使い方が上手」になれるんです。
なぜかというと、「時間のチューブ」が太くなっている時間帯を上手に使うと、「細い時間帯」にがんばるのに比べて何倍、場合によっては何十倍もの仕事をこなしたり、思索を深めたりすることができるからです。読書でいえば、「細い時間帯」には、1時間かかっても5~10ページ読むのがやっとだという人が、「太い時間帯」には、100ページ以上、薄めの新書なら読み切ってしまうことすらあるぐらい、すらすらと読み進めることができる。
そういう「伸び縮みする、三次元的な時間」を捉えられるようになると、少しだけ、僕らは時間の呪縛から自由になれると思うんです。
■「太い時間」を上手に使うのが<時間の技法>の真髄
「時間のチューブ」は、必ず周期的に伸び縮みします。後で述べますが、いわゆる典型的な「うつ」状態でない限り、「太い時間」の後には必ず「細い時間」がやってくるし、「細い時間」の後には「太い時間」が待っています。
そういう意味では、たとえ「細い時間」に陥ってしまったとしても、そう心配することはないわけですが、問題は「細い時間」にしても「太い時間」にしても、それが10分続くのか、1時間続くのかは誰にもわからないということです。
<続きはメルマガ本編をご登録の上、ご覧ください>
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