【メルマガ】人は感情的になると「自分こそが論理的で、正しいことを言っている」と思い込む
怒りに求心力があるということは十分にわかっていたつもりではあるのですが、今年になってから、さまざまな方面で起きている怒りの表出は、本当にすさまじいですね。
今更ながら、この世界で起きていることのほとんどが、怒りの表出=集注欲求(乳幼児の持つ注目への渇望)という印象を持たざるをえない段階に達しているように思います。
怒りに限ったことではありませんが、感情的になっている人の特徴のひとつに、「ことさら論理的になろうとする」傾向があります。
もちろん、怒りで視野が狭窄した人の論理は、足場が弱く、時間軸も短い、相手の揚げ足取りのレベルに終始してしまいます。
本人は「論理的で、正しいことを言っている」と思っているので、そのことに気づきませんが、周囲で見ている第三者は、一瞬のうちに興ざめします。それゆえに、感情的になった人の周囲には、「その揚げ足取りに加担すると利益のある者」だけが残ることになるのです。
つまり、近視眼的な論理が蔓延する世界は、怒りの求心力に支配された世界ということができるでしょう。
このことがもたらす問題は、「怒りによって価値あるものが失われてしまう」ということだけではなく、実は「怒り」という感情が持ちうる役割をも失わせてしまう、というところにあります。
まれなことだとは思うのですが、他人への無償的な愛や、慈悲を伴う怒りも存在するの事実でしょう。そういう慈しみの怒りの可能性を、私たちが単純に信じられなくなってしまう、ということが、非常に大きな問題であると思うのです。
名越康文メールマガジン 生きるための対話(dialogue)
2018年3月5日 Vol.167
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今週の目次
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01【巻頭言】人は感情的になると「自分こそが論理的で、正しいことを言っている」と思い込む
02【ピックアップ】一生ひとりぼっちって、まずいですか?
03【カウンセリングルーム】
[Q]上司を尊敬できなくてモヤモヤする
04【pieces of psychology】枠を着こなす/依存は無意識の中にある/私は「路地」である
05【読むこころカフェ】
・「勇気づけ」という高い壁を越えるには「ソロタイム」が必要だ
06精神科医の備忘録 Key of Life
・愛からみれば人は花なのだろう
07講座情報・メディア出演予定
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