千の反省よりも、一人の友人を大切に


自己批判や反省ということほど、難しいものはない、ということを、最近、つとに感じます。私たちは常に、自分の一部を否定することによって、自分自身を肯定しています。「こんなにひどいことをしてしまう私」を批判し、否定することによって「そうした判断力を持つ自分」を肯定し、ほめそやしているのです。

 

おそらく、大事なことは、その構造に気づいていることです。

 

完全なる自己否定は、完全なるナルシシズムを生むだけであるということ。人は常に、自分自身を認め、肯定するという前提なくして、自己批判や反省などはできないということ。理屈で言えば、誰もが納得することのはずですが、これを実践レベルで忘れずにいられる人は、ほとんどおられません。

 

それゆえに僕は、千の自己批判よりも、一人の友人を大切にすべきだと考えています。

 

あなたが誤った道を選んでいないかということを気にかけ、「おかしい」と感じた時にはきちんと、「ここはちょっと、まちがっているんじゃないか」と忠告してくれる。そんな友人の存在は、どれほど時間を費やした自己批判よりも、私たちを正しい方向へと、導いてくれます。

 

 

もちろん、友人といっても、あなたの意見といつも合わせてくるようなイエスマンでは意味がありません。また、あなた自身が、その人に対して、十分な敬意を持っていなければ、いざという時、その人の言うことに耳を傾けることはできないでしょう。

 

理屈と膏薬は、どこにでもつけることができますが、その効き目もまた、限定的なもので鹿ありません。

 

しっかりとした見識を持つ人と、時には厳しく、踏み込んだ意見を言い合える関係性を作ること。それは、どんな精緻な理論や思想、知識を身につけるよりも、私たちを導く道標となるのです。

 



名越康文メールマガジン 生きるための対話(dialogue)
2017年11月6日号(Vol.159)より

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