【メルマガ】人生に一発逆転はない–心の洗濯のススメ

2015年02月16日(月)06時31分10秒

誰もが心のどこかで、一発逆転を望んでいます。もちろん、仕事であれ、恋愛であれ、現実には本当の意味での「一発逆転」など起こりません。毎日こつこつと、ひたむきに続けていたことがある日、ある瞬間に形になる。それがはたから見ると「一発逆転」に見えるだけなのです。

その唯一の例外は破壊だけです。どれほどコツコツと積み上げて来たことであっても、それを破壊するのは一瞬です。何かを破壊するときにのみ「一発逆転」は起きる。ですから人は破壊に魅了されます。破壊の魅力とは、一発逆転の魅力なのです。

子供は積み木を積むよりも、崩すほうが大好きですが、これは大人も同じです。僕らは何かを改善しようと思い立ったとき、(臨床的には)ほとんど例外なく、壊してはならないものを壊すことから手をつけようとします。もちろん、本人は何かを壊そうと考えているわけではありません。変わりたい、救われたい。そういう純粋な思いから、人は破壊に手を染めるのです。

現実には、人が変わるためには、ゆっくり、地道に、コツコツ取り組んでいくしか道はありません。しかし、いくらそう言われても人は無意識のうちに一発逆転を望みます。それだけ、「一発逆転」の魅力は強いのです。

言い換えれば、人が「地道な努力ができるようになる」ということは、心理学的には大変な達成だということです。その域に至るまで、人はさんざんもがくのが通例です。

では、地道な努力ができるように成長する、そのために必要なことは何でしょうか。それは、一言でいうならば「内側を見る集注力を養う」ということだと僕は考えます。他人からの評価や、世間の名声とはまったく違う軸で、人は伸び悩んでいます。その壁を超えるには、内側を見なければいけないのです。

「また私は同じことをやってしまっている」と感得できたとき、人は初めて人生の入り口に立ちます。それまでの時間は、集注欲求と本能の捕虜にすぎないのです。

そこから抜け出すためには、瞑想に取り組むのも良いでしょう。「まともに考えられるようになるために、日々瞑想する」という方もいます。瞑想というのは、心にこびりついた感情のアカをこすりとるタワシのようなもの。少なくとも、それを入り口に取り組むのも悪くはないでしょう。

私の意識は、世界に先行しています。私の意識こそが、常に、最初に世界の見え方を決定しているのです。だからこそ、一日に最低一回は、世界と自分の意識とを切り離し、意識を洗濯しておくことが必要です。

そのことは、自分のパフォーマンスを破格に引き上げてくれるはずです。

 

 

 

名越康文メールマガジン「生きるための対話

2015年2月16日 Vol.094
目次

00【ピックアップ】「やる」という決心をしたあなただけに伝える人生を変えるたったひとつの方法
01【コラム】人生に一発逆転はない–心の洗濯のススメ
02精神科医の備忘録 Key of Life
・言葉に水を。言葉に肉を。
03カウンセリングルーム
[Q1] 瞑想していると心が暴走しているように感じることがあります
[Q2] 新しい環境で友人ができるか不安です
04読むこころカフェ(30)
・わかりあえないから、つながれる
05講座情報・メディア出演予定
【引用・転載規定】

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【メルマガ】99パーセントの人が知らない感情移入の本当の力

2015年02月03日(火)09時08分29秒

人間関係を良好に保つという意味でも、また自分が学び、成長していくためにも、「人の話を聞きなさい」ということは良く言われます。

しかし、「人の話を聞く」ということには、実は一筋縄でいかない、困難な問題が横たわっています。というのも私たちは人の話を聞くとき、多くは「自分の話」を聞いているからです。言い換えれば、私たちの耳から入った「相手の話」はほとんどの場合、無意識のうちに脳内に作り出した自己実現の肥として消費されてしまっているのです。

驚くべきことですが、人間のコミュニケーションの現場では、少なからずそんなことが起きてしまっているんですね。

「かわいそう!」
「わかる! そういうことってあるよね!」

という瞬間的な共感のほとんどは、相手の境遇に感情移入したものというよりは、自分の弱さや、抱えている問題を相手にそのまま投影している(=自己投影)だけなんです。

ですから、自らの中にある弱さを自覚しない限り、その弱さは必ず、他者に投影されることになります。例えば相手の話を聞いたとき、そこにあなたが「ずるさ」や「卑劣さ」を見いだしたとすれば、そのほとんどは、自らの弱さを、相手に投影した結果生じた幻影であると考えたほうが良い、というわけです。

人の話を、本当の意味で「聞く」ためには、私たちは自己投影をやめ、感情移入(異質なものへの共感)の段階に進むことが必要です。しかし、それができる人は本当に稀です。人はそれだけ、眼前の事実を、事実として認めることができないのです。

例えば私たちは、自分の理解の枠組みを超えた情熱を持つ人を目の前にすると、奇異に感じるか、あえて軽んじようとしがちです。なぜそうなるかといえば、結局のところ、自己投影しづらいからです。次第に、私たちは自己投影しづらい相手や言葉(本)を遠ざけるようになります。

しかし、そういう人や言葉に触れたときこそ、自己投影を卒業し、感情移入(異質なものへの共感)の段階に進むことが求められるのです。それだけが、自分を超える、唯一の道なのです。

最近僕は、大乗仏教の仏典をこつこつと少しずつ読んでいます。そこにはあまりにも途方もないスケールで、想像もつかないぐらい荒唐無稽なことが書かれているように感じます。しかし、それを荒唐無稽だと感じているのは、自己投影から抜け出すことができていないからなのです。

つい自己投影してしまう自分から抜け出して、いかに、対象に感情移入していくか。それを考えることがおそらく知性であり、智慧の始まりなのです。

名越康文メールマガジン「生きるための対話

2015年1月19日 Vol.092
目次

00【イントロダクション】武器やペンよりもずっと危険な「私の心」
01精神科医の備忘録 Key of Life
・恐怖心があるから優しさがある
02【コラム】「心の時間割」を取り戻そう<前編>
03カウンセリングルーム<お休み>
04塾通信(55)
・体癖の重要参考資料!? 甲野善紀先生の体癖を考える
05講座情報・メディア出演予定
【引用・転載規定】

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【メルマガ】武器やペンよりもずっと危険な「私の心」

2015年01月19日(月)10時28分48秒

ヨーロッパで大変な悲劇が起きました。それに対して、おそらく、多種多様な分析が、しかも繰り返し出現するでしょう。それはまるで、100万の穴を前にしたモグラ叩きのように見えます。なぜなら、そのほとんどは、「心は危険物である」という基本前提を見失っているからです。

心は、人間世界に起きるありとあらゆる出来事のスタートラインです。それは、世間でよく言われている、他人事のような心ではなく、正しく導かなければ荒れ狂ってしまう、危険物としての心です。

心という危険物の取り扱いを学ぶこと。それなしには何事も始まりません。心を整えて、人に会うということ。それはそのまま、この世での最重要のエクササイズとなるのです。

 

名越康文メールマガジン「生きるための対話

2015年1月19日 Vol.092
目次

00【イントロダクション】武器やペンよりもずっと危険な「私の心」
01精神科医の備忘録 Key of Life
・恐怖心があるから優しさがある
02【コラム】「心の時間割」を取り戻そう<前編>
03カウンセリングルーム<お休み>
04塾通信(55)
・体癖の重要参考資料!? 甲野善紀先生の体癖を考える
05講座情報・メディア出演予定
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大学教育について

2014年06月12日(木)04時25分31秒
私は大学は特殊な学部(医学や薬学等)以外は、いわゆる「毒にも薬にもならない教科書」的なテキストはなるべく使わないほうがいいと思っている。一般的な意味での知識を身につけたければ、図書館でそれこそ「教科書」を借りて読めばいい。そもそも、それ程度の知への欲求もないなら、大学で教養を得ることは諦めて、肩書だけを持って卒業すればいいと思う。
そういう考えもあって、私の講義には指定図書はない。もちろん、医学書院から出した『自分を支える心の技法』や、角川から出した『瞬間の心理学』、あるいは夜間飛行の『驚く力などを読んでおくと、講義を反芻するには役立つとは思う。それがないと、もしかすると、学んだことを「身に付ける」レベルには達しないかもしれない。ただ、それにしたって学生(現在はオープン講義なので社会人が多いが)が主体的に決めればいいことで、教える側がとやかく言う話ではないと思う。
ただ、本音を言うと、ようやくまともな学的対話の下地ができかけた二回生の終わりぐらいから就職活動を開始するような今のスケジュールにおいては、本当にビリビリくるような「知的対話」が生じる機会は極めて少ない。
でも、それが学問であれ実践であれ技術の習得であれ、それが世間的に良い事であれ良くない事であれ、知的対話によって身体がビリビリと震えたその瞬間こそが、本当は人生の始まりなのにね。
こんなことでこの国はいいのかい?

「最優先」ということ

2014年05月08日(木)12時45分42秒

 

 

 

 

名越心理学を学び始めた初期の間(心の理論が理解できてから1-2年)は、何より最優先で心を制御し、心に囚われないように生きる生活のコツを掴んでゆくことが必要です。

心を制御する以外のことは、生活の中野いわば「付随物」に過ぎません。そこまで徹底してやります。(結果的には、それまでよりは、何であれ能率も完成度も上がるはずです)

 

 

 

心の制御については、「あぁ参考になる話を聞いたな」「こういうやり方もあるな、取り入れよう」程度で心に留めているだけでは、おそらくほとんど前に進むことはできません。

 

やるなら“最”優先でやる。冷酷なようですが、虚飾のない言葉と受けとって下されば幸いです。

 

 

 

心の制御のコツが分かり、それをいつも手離さなければ、それまでの猛烈な悩み苦しみのほとんどが、実は自分自身ではなく、心の作り出す炎であったことが知れます。そのことが深く得心出来るまで、脇見を決してしないことです。最優先なのです。

 

以上です。

 

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諦めてはいけない

2014年04月30日(水)11時41分15秒

 

感情というのは衣服のようなものだが、脱ぐのに少々手間がかかる。

 

未熟さは寂しさに直結しているし、寂しさは怒りに火をつけるだろう。
今日という一日の最後の瞬間を感情によって台無しにしてしまったとしても、次の日にまた生きて目を覚ますとすれば、それは我々がまだ可能性の中にいるということだ。

「次の瞬間」には常に新鮮な時間が出現しているのだから。

 

そして生命の夢とはおそらく、そうした生命の宿業を越えることなのだろう。諦めてはならない。

 

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学びの三段階ループについて

2014年04月17日(木)11時06分42秒

僕は宗教を心理学的に構造分析することは有益だと思います。ただしその際、次に上げるような三段階の学びのプロセスのループを、一つの鋳型として想定すると良いと思っています。

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まずシンプルな入り口から入り、複雑な構造を経て、再び単純な言語化に戻る。この三段階の経路です。このループを繰り返し、理解と実践の深まりを促し、主観や思い込みの是正を図ります。

少し難解な理屈や言語を使うことは、それまでの自分の理解の枠を取り外すためには必要なものです。「わかりやすく」もほどほどにしなくては、取り組む物事によっては年月を無駄にしてしまうでしょう。

書物は人の意識集中を渇望しています。それに応える時、人は変容し始める。あまり読書とは自ら繭に入り、羽化を夢見る行為なのです。

文字は情報に過ぎないということは真実ですが、文字や言葉、あるいは書物というものの本質は、その情報の奥にある「隠れた情報」にこそあります。言葉、文字、文脈……それらをまず表面的な意味として共有すること。そしてしかる後に、隠れた意味という内的感覚の世界を探ること。

それを希求する動きを止めてはいけません。生が尽きるその時までは。

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世界への親しみを取り戻そう

2014年04月05日(土)06時28分03秒
特定の価値を絶対視するような勝ち誇った態度が、いつの時代も最も古い(ダサい)考え方だと思う。たとえその対象が最先端であっても同じことだ。愚かさを改めることができるのは「自分は愚かである」という高性能な知力だけであり、その矛盾をこの世の摂理と認め、生きるしかない。
多くの人は、物事を自分で考えていると信じている。しかしおおよそそれは他人の口癖のようなものであり、書物で読み知ったことでさえない。世界や事象は多様性に満ちているが、言語は単線的である。つまり言説を批判することほど容易なものはない。だからこそ、非凡な批判はとても重要なのだ。
日常の多くは、自己の思い込みで構成されているということに思いを馳せ、世界への親しみを取り戻すことだけが、現実とのかけ橋になるだろう。

「正しいこと」なら誰でも言える

2014年03月20日(木)12時58分46秒
 現実は原則で解釈するべきか、そうせざるべきかの弁別で成立している。裏を返せば、総合的判断が求められる現場に立たない人は、いくらでも「正しいこと」を言うことができるのだ。
うんざりすることかも知れないが、この時期、内政と外政をリンクさせ、チェスのように政治を俯瞰する論評でなければ語るにまったく足りない。
国内の、足下の課題に見えることであっても、それは広く世界情勢と同時並行している。そして、世界の課題はつまるところ領土・資産、つまりは「金」である。このことについて、まずは諦観とともに、できれば晴れやかに認知しなければならないだろう。
必要な事は、清濁合わせた現実を毒の大皿のように呑み込んだうえで頭一つを雲上に出し、地底深くより未来を変える胎動を起こすことだ。

 

オーティスのように

2014年02月13日(木)11時01分12秒

いつものようにグリーンスムージー、ハーフで。店にオーティス・レディングが鳴っている。店員たちは若いから、誰も彼を知らないだろうな。

 

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それでもオーティス・レディングは泣いている。自分の恋のはかなさと、帰り来ぬ日々に。

“今”を生きると、ある意味すべては一旦虚しくなる。この束の間が過ぎ去れば、すべてはすなわち幻だからだ。

ところが、ふとその幻自体を追うことを止めてみると、今の芳醇さがこの身体の中に入って来る。即ち、幻は実体ではないことに、はっとさせられるのだ。いつの間にか幻に取り込まれていた自分に気付くと共に。

こうして虚無自体が、やはり自分の作った幻想であると知れる。

多くの者(特にこの国の現代気質)は初学の頃、この幻想の二重構造に気付かず、なんと一生を思春期止りですごす。

店ではやはりオーティスのサティスファクションが鳴り始めた。彼のようにブレイクスルーしたいものだ。