二つの曼荼羅によって描かれる宇宙観


金剛界と胎蔵界の二つの曼荼羅、二つの宇宙観をきちんと統合したのは、おそらく空海が初めてである。

これを左脳と右脳、あるいは男性性と女性性、と捉えることは、(あくまでそのレベルの範囲内ということを弁えているかぎりにおいて)有益だろう。

 

この宇宙観は実は、極めてユニークなものだ。注意しなければいけないのは、この二つの世界を、智慧(理性)と慈悲(愛)と捉えてしまうこと。そうとらえた瞬間、私たちは思考停止に陥る。すなわち「分かった気」になってしまうのだ。

例えば、金剛界と胎蔵界の二つの曼荼羅に描かれている神仏の配置をみれば、金剛界は悟り(成長)の段階、つまり生命や存在の時系列を、胎蔵界はあらゆる衆生の仏性のいわば濃淡(波紋)を表現している。

つまり「方向性を持つ運動」と、「波のように戯れるような運動」が等価であり、同じ現象を現している。そういう宇宙観なのだ。どうも言葉にすると薄っぺらいが、これはとても面白くダイナミックな考え方であり、そう簡単に「分かった気」になれるような代物ではない、ということは確かだと思う。