居場所感を取り戻すための瞑想
この間ツイッターに
人間の意識の幻灯機は、前に向いていないと、見る見るうちに妄想城を自分の周り一面に築きだす。特に居場所取りに関しては。
なぜなら居場所ほどの幻想はないからだ。かくして他人にウェルカムでない文化は、瞬時に被害妄想の社会を出現させる。
や、
人間の想像力が、他人にとって安心できる場所も、他人がいたたまれなくなる場所をも作り出す。
とも書いた。
人間の前意識(普段はあまり気づかないが、注意深く感覚すれば認識できる層の意識)には、いくつかの感情が固着している。たとえば、絶望感の背景には、やる気のなさがあり、やる気のなさの奥には自己嫌悪がくっついている、というように。
ではその自己嫌悪はどこにつながっているかというと、これが意外に「居場所感覚の喪失」、つまり「場」の喪失感だったりするのだ。
瞑想は、そうやって失われた居場所感を劇的に補完する方法のひとつといえる。ただし、すべての瞑想が居場所感を補完してくれるわけではない。「加持」あるいは「入我我入」と空海が呼んだ方法論の中におそらく解答の一つがある。このあたりは、また詳しくメルマガ等で解明したい。