自己投影から感情移入へ(名越康文メールマガジンからの抜粋)
それだけではなく「お母さんはこうあるべきだ」とか、「こどもと深い絆があるべきだ」とか、「絶えずこどもを気遣っているはずだ」といったものを投影する。そこからしかその物語を見られなくなる。
そうすると、そのエピソードを語ってくれたAさんは、当時お母さんにはストレスがかかっていたのかもしれませんが、その気まぐれで意外な態度を見つけて驚いたという内容であったり、自分が自立しようとするエピソードだったりしても、それを分析しようとする受講生には「お母さんとはこうあるべきだ」という固定観念がありますから、そこからしか発想ができないので、なかなか思い出の語る真実(それが真実であるかは、もちろん定かではありませんが)の感触、あるいは納得にアプローチできなくなるのです。
一つの思い出を分析するクライアントについて、通常のコミュニケーションを越えた、思い出と自分とのコミュニケーション、読解が必要となって来る。その際、自分の経験の枠を外さなくてはならない。それこそが、夜の心理学の力です。そういうものが生かされるわけです。
夜、ほっつき歩いてみるとか、知らない鳥の鳴き声に聞き入ってみるとか、今まで眺めたことのないくらい長い分数、月を眺めてみるとか、雨音をしばらく無心で聴いてみる、しかもそれと一体になるように聴いてみるとか、そういう何気ない訓練、変わった訓練ですね、これをやってみる。これは自然のものでなくともよいのです。たとえば新幹線の中で、その振動音に少しの間沈黙して注意を向ける。こういう時間の中でふと、意外な静寂と気づきが生まれます。
対象と一体になる感覚をみつめたり、聴き入ったりすることが、自分の固定観念(たとえば「母親たるもの」といったちょっと重荷になっている概念とか)を外しやすくなる、着脱可能になる訓練にそれがつながっているのです。
そうすると、相手の話すことに投影ではなく、「感情移入」ができるようになります。私の心理学では投影と感情移入とは全く別の意味なのですね。投影とは、自分の思い込みで相手の話を聴くこと。感情移入とは、相手の世界の側に入ってみる、という感覚を経験しながら聞くということです。
そうすると、相手の経験と完全に一致するわけじゃないですが、ある部分においてはニアリーイコールといっていいような共有感が生じる。僕の心理学で「共感」というのは、そうした感情移入に根ざしたものを言うわけです。
じゃあ、感情移入と自己投影の違いはどこにあるか。たとえば「あーわかるわかる、そういうことってあるよね〜」というのは、共感ではなく、自己投影であることが多い。
感情移入というのは、必ず自分自身の感覚が新しく更新されるような体験が伴うものです。新しい感覚が目覚めるんです(これには実はほんの少しの勇気が必要なのですが)。そうじゃないと、自分の枠組みを相手にあてはめて、自己投影することにしかならない。それを「共感」だと勘違いして「わかるわかる」「辛かったよね」と声をかけたところで、相手にとっては不快でしかないでしょう。
また、そういう「偽の共感」を重ねていると、その人自身にも行き詰まりが生じます。それまでの自分の思い込み、枠組みがどんどん強化されていく。「自分は正しい」という信念は強化されるけれど、これ以上自分は成長できない、前に進めないというげんなりとした失望感が生まれていく。
つまり、本人の成長にとっても、自己投影から感情移入への転換は、重要となるのです。
名越康文メールマガジン 生きるための対話(dialogue) からの抜粋
2019年11月25日 Vol.208
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