素敵なオルゴール
ビリケンギャラリー(南青山5-17-6-101)にて。
最寄り駅は表参道です。
お立ち寄りの際はぜひ。
精神科医の備忘録~key of Life。臨床、講演、テレビ、ラジオ……精神科医の東奔西走の日々。
ちちんぷいぷい前に、例のカレー。卵+ウインナー入り。
私の好きな映画とは、「ストーリー」という言葉で表されるような律儀で連結的なものではない。
それはむしろ紙芝居風に束ねられた、プレパラート(標本の切片を硝子の板に挟み顕微鏡で見るもの)が表現する映像、というイメージに近い。
つまり、世界に属する何らかの〝切片〟であり、緻密な奥行きのある〝標本〟を、連続してスクリーン上に映写することによって、私の心に一風変わった物語を出現させ、私を激しくゆさぶったり触発したりする物語が、私にとって映画において欠くべからざるエッセンスなのだ。
この定義からすると、私はスターウォーズも指輪物語も大好きだが(実際DVDBOXも所有している)、「映画」という感覚はあまりない。あえて云えば、「映像サーガ」というような造語で呼びたくなるような何か、だ。
それに比すると、『ゴッドファーザー』や『007』の方が、それこそベルイマンやタルコフスキーといった大伽藍を出さずとも、たっぷりとした「映画」である。
そういう意味では、私の両目は激しい動きの中に生ずる一瞬の静寂を好む、あたかも齧歯小動物のような嗜好を有していると言えなくもない。
オーディエンスはいつでも、自分が何を待っているのか皆目わからないまま、ただ予感だけに手に汗を握り、その一瞬が来れば心を完全に奪われてしまう。そして後にそのシーンを、瞼の裏で確かめようとするものではないだろうか。
音楽はケンカの強さと、どうも相関がある(笑)。
「音楽なんかする奴はチャラチャラしとる!!」と言われることもあるけれど、実際には音楽ができる輩には、ケンカが強い奴がけっこう多い。
ここでいう「ケンカ」とはもちろん、単細胞的な体力や攻撃性だけではない。それ以上の何かを含んだ「ケンカの強さ」というものがある(このあたりの機微は、ぜひミュージシャンに聞いてみたい)。
たぶん、「所属」や「従属」に対する本能的な拒絶が、ミュージシャンにはあるんだろうな。だから丸ごと生きてる「ヒリヒリ感」がいつもあるんだろう。
それが本質的な「ケンカの強さ」をもたらしている。
音楽は、音楽を奏でる者と、世界との、仲介者なしの抜き差しならない“直”のやり取りなんだな(もちろん、そういう熱さを感じ取れない音も当然あるが)。
ミュージシャンやダンサーやパーフォーマーを僕が愛でるのは、その抜き身のヤバさなんだと思う。それはけっしていきり立ったヤバさじゃない。静謐で完璧に統御された、それでいて圧倒的な攻撃性なのだ。