「空気」のなかを生きる


本音、タテマエ、空気。

 

私たちの言論を支配する力にもいろいろあるが、日本では、瞬間風速としては「空気」が最も支配的な存在だろう。

 

よく「あの時はそのことを言える空気ではなかった」などと言うが、確かに日本における、そうした「言えない感」の強さは半端ではない。
日本において圧倒的に言論を支配している力は空気である。

そして、その空気の本質は、「言えない」ということ。すなわちタブーである。

 

日本人は現実が幻想の上に作られていることを、どこかで直感している。

幻想であるから、あるバランスが崩れると日本人の現実というのは、ものの見事に消失する。

 

だからこそ我々は、侵してはならないタブー=空気を、最上位の規範とするのだ。

 

しかし、空気は必ずしも硬直した抑圧や長期の専制支配のような頑強なものとは比較にならないくらい、もろいものでもある。

 

なぜなら空気というものは、ある日、ある瞬間に変わるからである。

 

空気というものが持つこの特徴を、我々は熟知しておく必要がある。

「空気はやがて必ず変わる」

だからそれを読みこそすれ、呑み込まれてはならないのだ。