日記(ブログ)
精神科医の備忘録~key of Life。臨床、講演、テレビ、ラジオ……精神科医の東奔西走の日々。
2013年09月30日(月)08時14分22秒
篠栗巡りをさせていただいて、いよいよ名越式仏教心理学の本筋の森に分け入る感じになって来ました(笑)
まずは、誰もが聴いたことのある仏教の常套句から、その文言成立のワケをいろいろ分析して行こうかと思います。
そうですね……相愛大学と名越塾で“初めを始める”ことになると思います。
私の考えでは、仏教の経文や論理は、きわめて実践的に書かれているのだと思います。
しかし、言葉には限界があります。つまり言葉は、経験自体を記録することは出来ないのです。
ですから読み解く際には、自らの経験といったん距離をとり、なるたけ客観視しなければなりません。
そうすることで私たちは、目の前の文言を、まさに「常套句として読み飛ばす」という軽薄さから解放されて行くはずなのです。
2013年09月29日(日)11時29分52秒
篠栗88箇所のすべての朱印ですね。ニノ滝寺にて。夜18時からクリエイト篠栗大ホールで講演します。
篠栗ニノ滝寺。
講演前に八木山地蔵とうふ店の豆乳ソフト。
2013年09月27日(金)04時11分39秒
金剛界と胎蔵界の二つの曼荼羅、二つの宇宙観をきちんと統合したのは、おそらく空海が初めてである。
これを左脳と右脳、あるいは男性性と女性性、と捉えることは、(あくまでそのレベルの範囲内ということを弁えているかぎりにおいて)有益だろう。
この宇宙観は実は、極めてユニークなものだ。注意しなければいけないのは、この二つの世界を、智慧(理性)と慈悲(愛)と捉えてしまうこと。そうとらえた瞬間、私たちは思考停止に陥る。すなわち「分かった気」になってしまうのだ。
例えば、金剛界と胎蔵界の二つの曼荼羅に描かれている神仏の配置をみれば、金剛界は悟り(成長)の段階、つまり生命や存在の時系列を、胎蔵界はあらゆる衆生の仏性のいわば濃淡(波紋)を表現している。
つまり「方向性を持つ運動」と、「波のように戯れるような運動」が等価であり、同じ現象を現している。そういう宇宙観なのだ。どうも言葉にすると薄っぺらいが、これはとても面白くダイナミックな考え方であり、そう簡単に「分かった気」になれるような代物ではない、ということは確かだと思う。
2013年09月27日(金)12時49分17秒
今日はふつうカレー。
子ども家庭センターに出張前。
夜は相愛大学・連続講座の後期一回目です。