日記(ブログ)
精神科医の備忘録~key of Life。臨床、講演、テレビ、ラジオ……精神科医の東奔西走の日々。
2013年11月01日(金)09時58分12秒
人間というものは、どこかで「先験性」ということについて考えざるをえなくなるというのが、これまでのところの私の結論なんです。
先験性というのは、例えばこういうことです。まだろくに話も聴いていないのに、そしてその対象がけっこう入り組んでいて難解なのに、既にそのものに魅了されてどんどんやりたくなる、学びたくなる、ということ。
あるいは、対象がとてもトレンディで価値があるとされているのに、話を聞いた途端に、なんだか同じことの繰り返し(自同律)と感じてとても退屈になる、とか。
良きにつけ悪しきにつけ、人間はどこかで自分が実際に経験して来た以上の歴史の流れを、無意識的に共有しています。
そして共有しているものの中で安心したり、分かち合えることを喜ぶ志向と、もうそろそろ次へ行きたい、未知のものに触れたいという志向とが同時に存在する。
この2つの異なる志向には、厳密には互いに共有する部分があり、それこそが先験性のありかなのだと思います。つまり歴史性を共有しているからこそ、先験性がある。しきたりに従うのも、反骨するのも、先験的な歴史感覚の共有がなければ、ただの惰性に流れてしまいます。
では惰性とは何か。それは個人的なレベルの感情や思考の癖や好みに流されてしまうということです。これは“個人的な”というのも忍びないぐらい、分かりやすく浅い固定観念や先入観に彩られた選択です。
そして先験性は、心が静まるに従って相対的に増える傾向が認められます。
2013年10月31日(木)09時32分53秒
昨日は、フジテレビの特番の収録。
今日は朝から大阪へ移動して、ちちんぷいぷい→大阪NHK文化センターでの講座→新幹線で浜松へ。
NHK文化センターでは三回目になる「幸せの見つけ方」という題の講座でしたが、予定していたより一つ手前で時間切れで終わってしまいました。
話せなかったのは、内面=内側の空間の感覚、という二つ前のブログの詳しい説明。
こういう内容はやっぱりメルマガのような文体か、口述がよいのです。
「心がスーッと晴れ渡る『感覚の心理学』」で詳解した「内臓感覚」に、よりはっきりした構造を持たせた感覚、と解していただいてよいと思います。
これは妄想で作った空想の世界の空間とは、明確に違います。なぜならば、現実の今の状況の中で、同時に感じる内側の感覚だからです。つまり、なんというか、決してあっち側に飛んでいないのですσ(^_^;)
そこに空間(の感覚)を作り出せると、外部からの情報をいったんろ過できるので、気持ちが落ち着くのです。昔の人が無と言ったり空と言ったりしたものは、もしかしたらこの感覚の先にあるのかも知れません。もちろんずっと先にですが ……(^_^;)
2013年10月30日(水)10時15分38秒
内面とは、内側の空間の感覚のことである。
このことに関しては、まずは極めて単純に考えたほうが良い。
つまり、“内側に空間を感じる”というほんの数分のエクササイズが、“内面”という体験になり、内面の実感になってゆく。
内面は、しだいに外の世界とのバランスをとるための、つまり自分を取り戻すための、内側の小さな居間、道場、探検、風景のようになってゆく。
たとえ話ではなく、思弁的でなく、
内側の感覚を感じて、
その曰く言い難い、ゆったり動き続ける感覚を、愉しんで、趣味にしてしまうこと。
内面を作るための、エクササイズの話でした。
2013年10月28日(月)03時39分55秒
ポンのあと、二つ取材をうけて、UNIQLOで防風ジーンズの新製品を買い、昼夜兼用のベジタブルプレートをオーダーしたら、このボリューム!!