日記(ブログ)


精神科医の備忘録~key of Life。臨床、講演、テレビ、ラジオ……精神科医の東奔西走の日々。

【メルマガ】シュプレヒコールのデジャブ感—大切なのは、深く呼吸をすること

2015年08月17日(月)03時25分08秒

「戦争したくない」というのは、少なくとも「論点」とはいえません。議論の基点です。しかしいまのところ、そこを共有できないまま、時間だけが無為に過ぎ去っていきます。そこに、シュプレヒコールのデジャブ感を覚えざるを得ない。

平和を願うことは大切です。しかしそれよりもずっと大切なことは、一人ひとりの人間が、深く呼吸をすることです。深い呼吸をすることによって、はじめて私たちは考えることができる。そうでなければ、平和を主張する者の叫びが、虚しく響くことになるだけです。

シュプレヒコールによって煽ることの弊害は、考えること、学ぶことが必要ないと直感する者を増やしてしまうことです。物事を短絡的に捉えることを推奨することは、本人の予想をはるかに超えた扇動となります。なぜなら扇動された者は、同時に排他的に生きる者となるからです。そしてその究極の排他が「戦争」である、と考えることもできるでしょう。

ではなぜ人はかくもたやすく扇動されるのか? それは、私たちの多くが常日頃から、大きな不満を抱えながら生きているからです。

不満を抱えているから、私たちは「ただ生きる」ということはできず、なんらかのアイデンティティを求めます。それがわかりやすいものであればあるほど、魅力的に映る。

そういう意味では、私たち大衆の一人一人が、そうした世界的なアイデンティティの矛盾の只中に足を踏み入れるしかないという、空前の時代が訪れているのかもしれません。私もまた、その時代を、深い呼吸とともに迎えたいと思います。

 

【ご案内】類人猿分類の新刊、9月11日発売決定!

「ガイアの夜明け」や「とくダネ!」で話題となった類人猿分類。その最新版・決定版の本を鋭意制作中です。タイトルは『類人猿分類公式マニュアル2.0  人間関係に必要な知恵はすべて類人猿に学んだ』。2015年9月11日発売です。

519sxT3XcwL._SX352_BO1,204,203,200_

私は監修として関わらせていただきました。非常に良い本になると思います。よろしければぜひ!(名越康文)

『類人猿分類公式マニュアル2.0  人間関係に必要な知恵はすべて類人猿に学んだ』
http://amzn.to/1RpGnhS

書籍情報はこちらに掲載中です。
http://gorihiya.yakan-hiko.com
※類人猿分類の既刊『ゴリラの冷や汗』も好評発売中。

無料簡易診断サイト
http://yakan-hiko.com/gather/

 

名越康文メールマガジン 生きるための対話(dialogue)

2015年8月 17日 Vol.106目次

00【イントロダクション】シュプレヒコールのデジャブ感
01【近況】性の交差現象が起きるとき、人は癒される
02カウンセリングルーム
[Q1] 「面倒くさい」は我慢しなければいけないのか
[Q2] デモに参加するときに気をつけなければいけないこと
[Q3] ついお酒を飲みすぎてしまう
03精神科医の備忘録 Key of Life
・時間とは「壊れやすさ」のことである
04【新刊】 『自分を支える心の技法』文庫版あとがき(抜粋)
05講座情報・メディア出演予定
【引用・転載規定】

 

この号を買う

 

↓メルマガ詳細・定期購読する

sign

【メルマガ】誰も知らない「本当の時間」の力

2015年07月20日(月)01時39分41秒

何かと人の言葉にイラついて仕方がないという人でも、その言葉を朝に聞くのか、夜に聞くのかによって、腹の立ち方はずいぶん違うはずです。昼間は内容が気になり、夜は語尾が気になる。そんなふうに、時間帯によって、同じ言葉でも、心や身体にどう響くかは、変化するのです。

 

「時間」というものが私たちの感覚に与える影響の大きさは甚大です。しかし、そのことに本当の意味で気づいている人は非常に少ないのではないかと感じます。多くの人は、時間というものを時計が刻む客観的な「時間」としてしか捉えることができず、私たちの感覚が捉えている「本当の時間」に向き合おうとはしません。

 

では、時計が刻む客観的な時間と、僕たちが日々、実感として受け止めている「本当の時間」には、実際のところ、どのような違いがあるでしょうか。

 

結論からいえば、客観的な時間というのは「モノサシ」に過ぎず、実態を持たない概念にすぎません。それに対して、私たちの感覚によってありありと捉えることのできる「本当の時間」には、途方もない力が宿っているのです。

 

私たちは通常、空間における作用を“力”と呼びます。しかしそのような力はすべて、時間に押し流されていきます。時間の持つ力は絶大なのです。しかし繰り返し述べてきたように、私たちは通常、時間の持つそうした「力」に直接、触れることができずにいるのです。

 

「本当の時間」は、常に伸び縮みをしています。ある瞬間が、途方もない厚みを獲得してしまうことすらある。それを捉えるためには、「行」に取り組む必要があります。感覚を、物事(対象)に対して集注させるのではなく、瞬間に集注させる。それが行の入り口です。

 

行に取り組むことによって、私たちの感覚はようやく、「本当の時間」を捉え始めます。自分であれこれ考えているうちは、私たちは因襲的な時間の枠組みから抜け出すことができません。行に取り組むことによって、僕たちは初めて、厚みを持つ時間に遭遇します。そこにきて、はじめて僕たちは、時間が持つ本当の力を、自身の身体全体で受けとめることができるのです。

 

 

 

名越康文メールマガジン「生きるための対話(dialogue)

2015年7月20日 Vol.104
目次

00【イントロダクション】誰も知らない「本当の時間」の力

01【コラム】活力を呼び込む午前中の過ごし方

02精神科医の備忘録 Key of Life

・自己への囚われはときに生きる活力の息の根を止める

03カウンセリングルーム

[Q1]子供の才能を枯れさせない関わり方とは?

[Q2]自分に向けられた怒りをうまく受けとめることができません

04読むこころカフェ(34)

・他者がもたらす不快との付き合い方

05講座情報・メディア出演予定

【引用・転載規定】

 

sign

※購読開始から1か月無料! まずはお試しから。
※kindle、epub版同時配信対応!
名越康文メルマガ「生きるための対話」のご購読はこちらから

【メルマガ】「他人に支配されない人生」のために必要なこと

2015年07月07日(火)08時20分20秒

人はいつも、思考や価値観よりも、刺激と感覚に引きずられて生きています。

それは言い換えれば、どれほど情報を仕入れ、自分の頭で考え抜いても、「感覚」にアプローチしない人は容易に他人に誘導され、コントロールされてしまうということです。

感覚というのは「数量」や「実体」よりも有力な“現実”です。言い換えれば、私たちが触れる「実体」や「数量」というのは、常に感覚によって“汚染”されている、ということです。

我々は現実というよりむしろ、感覚に取り囲まれて日々を過ごしている。ですから、他人に支配されない人生を望むのであれば、いまあなたが知るものよりもずっと広範囲の感覚を意識し、それらを深めていくことが必要です。

しかし、ここで問題があります。それは、感覚を広げ、そして深める手段を「学ぶ」道はほとんど絶無に近いということです。感覚を深める道は、学ぶというよりは師について習うものであり、その機会に恵まれなければ、上達どころか、そのようなテーマが存在することにすら、気づくことができないのです。

 

 

名越康文メールマガジン「生きるための対話(dialogue)

2015年7月6日 Vol.103
目次

00【イントロダクション】「他人に支配されない人生」のために必要なこと
01【近況】類人猿分類(『ゴリラの冷や汗』)がブレイクした理由/「考える」とは何か02【コラム】カバンには数冊の「読めない本」を入れておこう
03カウンセリングルーム
[Q1]勝ち負けと怒りについて
[Q2]恋愛が面倒です
[Q3] やりたいことが多すぎてひとつに選べない
04精神科医の備忘録 Key of Life
・悪口を言うと運気が悪くなる
05講座情報・メディア出演予定
【引用・転載規定】

nakoshi_mailmagazine_banner
※購読開始から1か月無料! まずはお試しから。
※kindle、epub版同時配信対応!
名越康文メルマガ「生きるための対話」のご購読はこちらから

【メルマガ】「疑う力」を失った現代人

2015年06月26日(金)10時35分47秒

人間の論理は、ある段階で必ず「一面的な理解」に行き着かざるを得ません。そして多くの場合、思考はそこで終結し、あとはその一面的な論理による「壁」と現実との間を絶えず循環するだけになってしまうのです。

なぜなら、脳は、不条理なものを思索し続けることが苦手だからです。僕たちの思考は、一面的な論理に絡め取られやすいし、他者からの扇動・操作を受けやすい。

言い換えれば、人は人生のどこかで必ず(本当の意味で)思考することを諦め、一面的な言説、物事を真に受けてしまうようになるということです。しかしそれは突き詰めればエゴであり、事実の実態をとらえているとはとても言えないのです。

それゆえ、理想主義者は純粋過ぎる理想を掲げているにもかかわらず、ほぼいつも、人の嫉妬や怒り、つまりルサンチマンを集める集金人のような役割を担うことになります。そして後になって、その時間が人生の浪費であったことに気づいたとしても、そこからもう一度エンジンを吹かせることは極めて難しい。なぜなら、それまでの現実と「壁」との間の無限の循環によってエネルギーを浪費し、疲労が蓄積されてしまっているからです。

その壁を乗り越え、自立した思考を続けるためには、「謎」を追い続ける構えを持つ必要があります。そこで、求められるのが「疑う」という能力なのですが、残念ながら現代では、多くの人が、「疑う」ということの本質を見失っています。

本当の意味での「疑う」というのは、「よく見る」ということです。でも、多くの人は、疑おうとして、妄想する。

では「よく見る」とはどういうことか。それは、観察しながら、そこに踏みとどまるということであり、これだけが、妄想的ではない「疑う」を支えるのです。

踏みとどまることができた人だけが、次の一歩を踏み出すことができるのです。

そして何かを超えることは、ほとんど何かを捨てるということとイコールである、ということも忘れてはいけません。それらは同時であり、どちらか一方ではいけないのです。

 

名越康文メールマガジン「生きるための対話(dialogue)

2015年6月15日 Vol.102
目次

00【イントロダクション】「疑う力」を失った現代人
01【近況】お掃除ロボットが起こした静かな革命
02【コラム】できるだけ若いうちに知っておくといい「本当の」愛の話
03精神科医の備忘録 Key of Life
・「思い」を越えよ
04カウンセリングルーム
[Q1]子育て中の妻にイラついてしまう
[Q2]体癖の偏在について
[Q3]仲間から一目置かれたい
05講座情報・メディア出演予定
【引用・転載規定】

nakoshi_mailmagazine_banner
※購読開始から1か月無料! まずはお試しから。
※kindle、epub版同時配信対応!
名越康文メルマガ「生きるための対話」のご購読はこちらから

【メルマガ】依存から祈りへ

2015年06月03日(水)10時19分55秒

「論理的に正しい言葉」は、人を勢いづかせることはあっても、決して心の奥底に届く波紋にはなりえません。論理に依存した虚勢は、攻撃する対象を失えばそれでおしまいです。

依存とは、自分以外の誰かの攻撃性に乗っかることです。無意識の依存から解き放たれ、これまでの自分の数倍の力を活用すること。それだけが、未来を開くカギなのです。

まずは毎日、自分を十分に応援してください。誰かの手助けや肩入れは、その余力でやればよいのです。

自分を応援するコツはひとつだけ。心に浪費されるエネルギーを半減させること。人の心が成長しないかぎり、社会革命のほとんどは失敗する運命にありますが、自分の心の中の革命は、心と自分とを切り離すたびに、起こすことができるのです。

人間は絶えず、無意識のうちに事実誤認をし、しかもそれに対して知ったかぶりを決め込んで生きています。そのことを繰り返し認めましょう。それが分かった上で、目の前の出来事に対して、落ち着いて頭と手を動かしましょう。いかにも他の誰かが言いそうな尻軽な正しい言葉を口にしそうになったときには、一度、言葉を飲み込み、心と自分とを切り離すことに務めましょう。

それは本来の意味での「祈り」と言い換えてもいいでしょう。往々にして、私たちは過去や未来に向けて祈ろうとします。しかし、少なくとも心理学的な意味での「祈り」の王道は、「今」を祈りの集注で満たすことなのです。

別の言い方をすれば、祈りとは、自分自身をしっかりと背負いつつ、その瞬間に、自分の中身をそっくり入れ替えてしまうことなのです。

 

 

名越康文メールマガジン「生きるための対話

2015年6月1日 Vol.101
目次

00【イントロダクション】依存から祈りへ
01【近況】住民投票とドローン少年に見る前思春期性問題について
02カウンセリングルーム
[Q1]「明るい怒り」なんてあるんでしょうか?
[Q2]空気が読めてない自分を何とかしたい
03精神科医の備忘録 Key of Life
・具体的な対象から学ぶ
04読むこころカフェ(33)
・人は心の奥底では無限に成長したいと願っている
05講座情報・メディア出演予定
【引用・転載規定】
nakoshi_mailmagazine_banner

※月2回発行、500円+税(月額)。kindleや各種電子書籍リーダー対応。購読開始から1か月無料! まずはお試しから。

※kindle、epub版同時配信対応!

 

名越康文メルマガ「生きるための対話」のご購読はこちらから